Eureka

他愛もない毎日のこと、本や書店めぐりの記録

日記 2023.7.22㈯

8時起床。薄曇り。次第に日が差してくる。梅雨も開けていないというのに最高気温37度とかいう日が続いており、数日前からの最高気温33度が涼しく感じる。土曜にしては早起きなのは、ゴミ出し(と言っても外に持っていくのはいつも旦那氏)と新宿でランチと映画を予定しているから。最近意識的に休日の予定を組むようにしている。当日になって「今日はどうしようか」というのももちろん楽しいのだが、それがあまりにも続くと決まらないことにストレスを感じるから。とは言え、ぎちぎちに予定を入れて忙しないのも嫌なので「時間と体力に余裕があったらこれもする」といった風に余裕も必要なのがみそ。


部屋干ししていた洗濯物を畳み、朝食を食べ、ベランダで朝日を浴びながらストレッチをしている旦那氏を鍵を締めて締め出すといういたずらをし、シャワーを浴び、出かける支度をする。先日美容院で酸熱トリートメントして髪が扱いやすくなったので支度にかかる時間が減った。でも施術中のニオイがつらかったのでもうしないと思う。


今日のメインの予定は、先日公開されたジブリの映画「君たちはどう生きるか」を観に行くこと。情報が一切非公開だったために公開されたことも知らず、SNSでかなり話題になっていたので、土曜のチケットを取るために木曜の朝鼻息荒くネットで購入したのだった。スタートが15:25~なのでその前にランチをしようと、新宿は「カレー草枕」を提案すると、旦那氏が快く了承してくれた。

草枕は以前突然思い立ち行ったものの、到着時間が遅かったのですでにランチが終了していた。周辺で遊ぶことも少ないので行く機会が無かったけど、先日読み直した植本一子さんの「降伏の記録」に店名が出ており、次新宿に行ったら今度こそ行こうと目論んでいた。人気店なので行列を回避するための早起きだった。ちょうど12時に到着すると空席があってすんなり入店できた。窓際のカウンター席に横並びに腰掛け、なすチキンをご飯少なめで注文した。旦那氏はご飯の普通盛りが250gあると知らず注文し、食べきれるかなと言いながらなんとか平らげていた。さらさらのカレーに素揚げのなすとほろほろのチキン。辛さレベル1だったにも関わらず、食べ終わると汗が出てきて、ハンディファンをテーブルに置いて水を飲みきる。カレーを食べるとスパイスの勉強がしたくなる。会計を終えて店を出ると階段に行列ができていた。


次は旦那氏の日傘を見に行く。旦那氏に、直射日光を浴びると疲れるでしょうと最近日傘を猛プッシュしている。もともと傘を持つのが大嫌いな人なので、mont-bellの日傘なら軽いからと勧めてみたら買う気になってくれた。実物を見たいとアウトドアショップを何件か回ったが見つけられず、近々店舗に電話して問い合わせようと今日は諦めた。途中デパートでヴィヴィアン・ウエストウッドのかわいいハンカチを見つけ、旦那氏が買ってくれる。ハンカチも値上げされていた。
時間があったらBluetoothスピーカーを見るつもりでいたので、それも見に行く。いくつか視聴したところ全く別の候補が出来てしまったので、これまた買わずに退店した。リビングで本を読むとき、テレビでYou Tubeミュージックをつけているが、先日旅行した先で部屋に備え付けられていたBluetoothスピーカーの操作性と音が良かったので導入したくなったのだ。家電は選択肢が多すぎる。


映画まで1時間弱。今日は新宿ピカデリーで観る予定だったので下の階のmujiカフェでお茶をするつもりがリニューアルのため営業していなかった。旦那氏は数日前、初めて行くサウナが臨時休業でとんぼ返りすることになり、ここでも休業に遭遇してしまったので、がっかりもひとしお。こういうことは続くものだねと別のお店でお茶をした。


時間になってメインロビーに行くとすごい人。売店で飲み物を買うのは諦めた。席は後ろの方の一番端。年齢と共に映画館の席が通路側になっていきとうとう端を選ぶようになった。万が一トイレに行きたくなったときのために。

ジブリを観るたびに、宮崎駿という人の内にこんな物語があるのか、こんな風に表現するのか、好きだから楽しいからという気持ちだけでは映画を作れない、作ることは身を削ることで苦しいもの、キャラクターやその世界観が私達に伝えるものとは、そんなことをぐるぐる考える。大人が見ても少々難解で、宮崎駿監督は自分が表現したいものをし切ったら、あとはどう受け止めてもらおうが構わないという雰囲気がある。媚びないし、どこまでもストイック。私はもう一度観たいけど、旦那氏は別の感想。映画や本の趣味はあまり合わず。こればっかりはひとそれぞれ。
伊勢丹に寄って高級ドライヤーを試し、やっぱりあまりにも高級なので恐縮しながら退店。
最近見つけた野菜とお魚が美味しい居酒屋さんで食べ、飲み帰宅。カルダモンのリキュールのお酒が美味しくラベルを写真に撮った。自宅用に購入するつもり。帰宅後旦那氏がシャワーを浴びている間に私は寝落ち。

UNITÉトークイベント:愛が行方不明

ヨシノヒトシ展

2023.5.28㈰、8時起床。私にしては早起き。 本当はもう少し寝ていたかったけれど、 今日は行きたいところがあった。 少しだけおしゃれをして電車を乗り継いで鎌倉へ向かう。 

鎌倉にはうつわを扱う素敵なギャラリーがあり、 かれこれ10年以上通っている。作家もののうつわは決して安いわけではないので、何年もかけて買い集めた。やっと数も種類も揃い、それらを大切に使いたい気持ちもあって、ここ最近はどうしても行きたいと思った展示だけ行くことにしている。

 

時々DMをいただくのだけど、今回のヨシノヒトシ展のものも素敵だった。オーバルのリム皿の中央に実を咥えた鳥、それを囲む枝には葉が茂り大きな黄色い実がなっている。リム(縁)にも花がリズミカルに描かれ、外国の農村に暮らすおばあちゃんが大事にしているうつわ、そんな風に見えてきた。


これは実物を見に行かなくては、と衝動的に体が動いたのだった。

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余談だけれど、こちらのギャラリーのDMはデザインが本当に素敵で、ファイルに入れて保管している。

 

早起きの甲斐あってギャラリーにはオープン10分前に到着した。 人気作家の個展はオープン前から行列が出来るので覚悟していたが 、個展2日目だからか、私は2組目だった。

 

時間になり店内に入って左手前のテーブルに目をやる。テーブルと、側にあるアンティークの飾り棚にヨシノヒトシさんのうつわたちが並ぶ。 後で見たInstagramの展示の様子は、壁の棚もうつわで埋め尽くされており、 それに比べるとスペースが縮小していた。 昨日が大盛況だった事が伺える。

 

敢えて下調べをしなかったので、想像よりかわいらしいうつわばかりで驚いた。

ムスティエの様相に花模様が描かれた愛らしいリム皿。はたまた台湾の食卓に出てきそうな、黄色の縁取りに赤やピンクの花々が点々と描かれた小鉢やれんげ。花も模様も、どこか懐かしさがあって、ヨシノヒトシさんの旅の思い出を見せてもらっているようだった。

 

一つひとつ手にとって「これにはどんな料理が合うだろう。 いや最近料理をしていないし贅沢だ。いやいや、これに棒棒鶏を盛り付けたら美味しさ倍増では?!よく使うサイズなら無駄にならないし買ってもいいよね? こんなにかわいくて、我が家のうつわと雰囲気が合うだろうか…」 という脳内会議が忙しく始まる。

 

じっくり見れば見るほどに疲弊してしまうが、買って使わなかったら作家さんに申し訳なさ過ぎる。 だから真剣に選ぶ。

迷いに迷ってフレンチアンティークのような花リムのオーバルのものにした。大きさもちょうど良く、 料理だけでなくクッキーやカヌレを載せてもいいかもしれない。私には不釣り合いなおしゃれなティータイムを妄想した。我が家の食卓も華やかになりそう。

 

帰り道、スーパーに寄ってアメリカンチェリーを買った。思い立って新しいうつわに盛り付けたら、写真に撮らなかったことを後悔するくらい素敵だった。機会があればぜひここにアップしたい。

日記 2023.5.14㈰

くもり、時々雨。掃除・洗濯は昨日の内に終えているので、今日はどうしようかと旦那氏と相談。
ここ最近の楽しみは、気になっていた書店を巡り、帰りにカフェに寄ること(GWもほぼ書店&カフェ巡りをしていた)。

私が行きたい書店はほぼ回ったので、旦那氏の希望で千駄木の「往来堂書店」に行くことに。西荻窪の今野書店のように選書が良さそうとのこと。書店おすすめのカレー屋さんも近いということで、今日はランチ付き。豪勢な休日になる予感。


ところが千駄木に到着しカレー屋さんに行くとcloseの看板。カレーが早々に売り切れ、予定より早くランチタイムを切り上げたようだ。Uターンして行きに見かけた「雨音茶寮」へ。食事もあるというので迷わず席が空くのを待つことにした。時計はすでに14時を回っている。


これは個人的な反省点なのだが、休日はのんびり起きるので朝食も身支度も遅くなってしまう。したがって家を出る時間も遅くなり、外でランチをするにはギリギリになってしまう。私は空腹を我慢できるが旦那氏はほぼ時間通りにお腹が空く人なので、別のお店を探したり、並んで待つ時間が辛そう。今更だけど、休日の過ごし方は早めに決めようと思った。


ランチは雨音ごはんという名のおばんざいと出汁茶漬けのセット。食後のホットコーヒーに付けてもらったミルクが温めてあり感動する。この心遣いは嬉しい。

おばんざい4種は日替わりみたい 栄養バランス◎

カフェを出て往来堂書店へ。地域密着型!という雰囲気。でも話題の新刊もしっかり揃っており、近所にこんな本屋さんがあったらなぁと思う(我が家の周りには良い書店が無くて悲しい)。気になっていた「聴こえない母に訊きにいく(五十嵐 大)」を購入し、カバーをかけて貰う(無料!嬉)。モグラのイラストがデザインされていて顔が綻ぶ。オリジナルのブックカバーはやっぱり嬉しい。有料でもいいからブックカバーがあって欲しい。


その後折り畳み傘を開いたり閉じたりしながら周辺をぶらぶら散策し、旦那氏が行きたいと言った喫茶店に向かったのだが、Googleマップの情報では18時閉店だったのに、現地に着くとすでに閉店していた。「入店は17時まで」という貼り紙が数分過ぎて到着した私たちを無言にさせた。今日はよく振られるな…。


気を取り直して移動し別の喫茶店で読書。今日から読み始めた「水中の哲学者たち」。固い本かと思いきや、ふふふと笑える箇所多数。まだ50ページほどしか進んでいないのに、春先の筍がニョキニョキ生えてくるように、すでに付箋がたくさん付いている。


行きたい飲食店には行けなかったけれど、雨音茶寮に行けたし、今日行けなかったお店は次の楽しみに取っておく。

日記 2023.5.3㈬

GW初日である。1日、2日は出勤したので私のGWは今日からが本番。雲ひとつ無い晴れ。絶好のピクニック日和。

 

ピクニックに行こうと言い出したのは私。旦那氏と「どこか行きたいところはある?」という話になった時、読みたい本も溜まっているし、自然の中でゆっくりしたい→本を持ってピクニックに行こう、ということになった。

 

この日のために買った大人二人がごろ寝できる2畳ほどのレジャーマットと、ブラックコーヒーを淹れた水筒と、きゅうりトースト(なかしましほさんのレシピ)、クッキーを持って公園に向かう。

 

実はサンドイッチは買うつもりでいたが、昨晩同僚からの急な誘いで飲みに行ってしまった後ろめたさと、以前作ったきゅうりトーストを旦那氏が食べたそうにしていたので、飲み会の帰り道スーパーで材料を買ったのだった。

旦那氏は私の負担を考えて、して欲しいことがあっても言わないことがある。ピクニックで何を食べるかという話題になったときも、「あのきゅうりトースト美味しかったよね」という言い方をする。なんだかいじらしい(半分かわいそうな)気分になってしまったのだった。

 

今日行った公園は、昨晩大急ぎでネットで探した場所だったが大正解。自宅から遠すぎず駅からのアクセスもいい。大きな木の木陰にシートを敷くと風が吹き抜けて気持ちいい。

お腹を満たししばらくするとトイレに行きたくなり、少し先に見えるトイレに向かった。トイレを出て近くの自販機でジュースを買い戻ろうとしたところ、なんと帰り道が分からなくなってしまった。シートを敷いた場所からトイレまで直線距離で200メートルも無かったのに…。なんてこと、アラフォーにもなって迷子になってしまった。

 

旦那氏に電話するも出ない(Wi-FiがONになっていたのが良くなかった)。まっすぐ歩いてきたつもりだったので目印になるようなものをチェックしていなかった。散々歩き回りどこをどう歩いたのか、トイレとは真逆の方角から私が戻ってきたので旦那氏を驚かせてしまった。

 

シートからトイレまでの間に大きな木が2本あり、トイレから出た時私達の場所が死角になったこと、ジュースを買いに少し移動したことで方向感覚を失ってしまったらしい。

旦那氏に「なかなか戻ってこないから電話するところだったよ」と言われたところで公園の管理局の放送が流れた。本当の迷子を探すアナウンスだったが、「この手があったか」と旦那氏が言うので笑った。

 

やっと落ち着いてごろりと寝転んで本を開く。子どもたちの笑い声や野鳥のさえずり、どこからともなく聴こえてくるオカリナの音色がちょうどよいBGMになって読書がはかどる。次第にうとうとして小一時間ほど昼寝。

 

普段は窓の開かないビルで一歩も外に出ず仕事をしているので、こうしてお日様に当たり風を感じることが久しぶり。また来ようね、と言いながら15時頃帰路につく。途中コーヒーとチーズケーキが美味しいカフェに入れたのも収穫。

 

GWよい滑り出しだ。

 

ピクニックのおとも

私と書店「本屋Title」

本を読んでいると、その作家の過去の作品を読みたくなるし、作中に紹介されている本があればそれも読みたくなる。

読めば読むほど欲しい既刊本のリストが溜まっていく。書店に足を運ぶたびに探すのだが、新作と違い既刊本となると意外にも見つからなかった。

 

同時進行で古本で探してみるもあっけなく惨敗。話題になった私小説の文庫版も無いなんて…と既刊本との出会いの難しさを感じる。

大型の古本屋に行けばあったかもしれないが、本が大切にされていないあの店内は一切購買意欲をくすぐらず、ここ数年は一切利用しなくなってしまった。

 

ここまで探しても無いのだから紀伊国屋書店に行くか、注文しようとしていた矢先のこと、ある書店で探していた文庫本を見つけることが出来た。しかも5冊も。

ある書店、と勿体ぶったけれどタイトルの通り、荻窪の「本屋Title」である。

 

散々探して見つからなかったのに、Titleで全て揃ってしまった衝撃。思いがけない出来事に心臓は高鳴り、全身の毛穴が開くような気持ちがした(私の場合は特に頭に感じる)。
しかも、前日に別の書店で購入した「ことばの杖(李良枝)」まで置いてあり、私が来店すること分かっていました?と尋ねたくなってしまった。今回の来店が2度目なのでそんなはずはもちろん無い。

 

初めてTitleを訪れた数日後、旦那氏が「独立して書店を始めた人の多くが、荻窪の本屋Titleを憧れの本屋と言っているらしいよ」と教えてくれた。

その時は「へぇ、確かに居心地の良い本屋さんだけど、同業者の方がそう言うなら相当なんだね」と感想を述べて終わったが、今回の経験をした今では「そりゃそうだ、お手本のような本屋さんだもの」と思う。

 

相性がよかった?そうかもしれない。でもそれだけじゃない。

その答えの一部が店主辻山良雄さんのWEB連載やインタビューに散りばめられている。

 

Titleの店頭には、通常の書店に見られるようなPOPを付けておりません。大きなPOPは後ろの本が取りにくくなりますし、何よりその本の顔である表紙がきれいに見えなくなります。本の顔をきれいに見せることで、一冊の本が本来持っている、その小さなつぶやきが聞こえやすくなります。

(略)何の本を手に取るかは、すべてお客さまが自分の興味やその時の気持ちに合わせて決めることだと思います。本屋に出来ることは、出来るだけお客さまが本と出合う邪魔をせずに、その環境を整えることです。

(略)本屋は人の書いたもの、すなわちその人のたましいを扱う場所です。たましいが取り扱われるには、それにふさわしいような整えられた場所が必要だと思います。

:本屋の時間 第8回 本のつぶやく声

 

辻山…(略)じつは本にそんなに答えがあるわけじゃないなと思うんです。ただ、読むことで自分が耕されることは誰しもにあると思います。

:北欧、暮らしの道具店 大平一枝の『日々は言葉にできないことばかり』

 

新刊はもちろん、暮らしの本、児童書、雑誌もあって一見街の本屋さんと思いきや、心構えのようなものがちゃんと空間に反映されている。書店に使う言葉ではないかもしれないが、頼もしいと思う。それにTitleに行けば今必要な本と必ず出会える。これは断言していいと思う。

 

恥を偲んで白状すれば、本屋をやってみたいと妄想したことがあった。でも今回のような本との出会いを提供することは絶対にできない。妄想はあっけなく霧となった。

 

「遠い朝の本たち」を読んで

先日、須賀敦子さんの「遠い朝の本たち」という本を読み終えた。

翻訳家で随筆家の著者が、幼少期から読んできた本とともに、その周辺にまつわる人々や出来事をまとめた一冊である。

著者のことを調べた後、また、友人のしげちゃんとの思い出について知った後では見当違いだが、読書に関する思い出を読んでいる間は羨ましいという気持ちだった。

厳格な父親は芦屋で事業を営み、その一方で読書家で、蔵書に藤村全集、漱石全集、英詩の詩集(これは読んだ形跡があまりなかったようだけれど)を持ち、本ばかり読んでいる著者を母親は「おまえはすぐ本に読まれる」と叱りながら、若かった頃同じ言葉で母親(著者の祖母)に怒られたのだと打ち明ける。折々に本を贈られることも多く(本が貴重だった時代ということも関係していると思うが)、探検記を読めば自分も探検にのめり込み、友人たちと本の中の登場人物について夜を徹して語り合う。

 

幼いときの読書が私には、ものを食べているのと似ているように思えることがある。(略)いや、そういうことにならない読書は、やっぱり根本的に不毛だといってもいいのかもしれない。

須賀敦子「須遠い朝の本たち」

 

もし子供の頃からもっと良い本に出会っていたらと思うと、どうしても羨ましいと思ってしまうのだ。読書は好きな方だったけれど、積極的に本を探して読むということは少なかったように思う。夏休みの読書感想文の課題図書、学校の図書室に入荷してたちまち人気となったシリーズものを読むくらい。田舎だったので本屋に行くのも車かバスだし、図書館に行くのも同じ理由で足が遠のくのだった。少々言い訳じみているけれど。

 

なので著者のように読み込んだ本があったかと考えた時、一番に思い浮かんだのが手塚治虫の漫画「火の鳥」と「ブッダ」だった。まさか、須賀敦子さんについて書いているのに、漫画を出すことになるとは思わなかったが、「父ゆずり」「父の鴎外」という章で、自分の父を思い浮かべずにいられなかった。

 

私の父は普通の会社員で、本棚は仕事関係の資料や資格のテキスト、実用書や小説などで半分が埋まり、後の半分は漫画で、手塚治虫作品、浦沢直樹の「20世紀少年」、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」などであった。その中でも「火の鳥」「ブッダ」は言わずと知れた大作で、子供ながらに受けた衝撃は大きく、しばらく地球と宇宙、現代過去未来を彷徨い心ここにあらずな日々を過ごしていた。友達がアイドルや少女漫画の話でもちきりだった頃なので、少し距離を感じた時期でもあった。


ただ、友達と漫画の話で盛り上がれなくても、父の本棚には趣味の良さを感じるし、それが大事な読書の記憶になっていることは素直に嬉しい。そんな父なので、著者の父親のように本を贈られたこともなければ、○○を読め、○○ぐらいは読んでおけとも言わない。でも漫画の話でいいから、父が初めて親しんだ手塚治虫は何だったのか、他に好きな作家がいたのか、もっとたくさん会話をすれば良かったと思う。

父は2018年に66 歳で他界してしまったので、それはもう叶わない。

 

しかし、本を読めば読むほど自分の無知無学と直面し肩を落としてしまう。と同時に著書の本のような書物をたくさん読もうと思う。今の私には本こそ先生なのだから。