日記 2023.5.14㈰
くもり、時々雨。掃除・洗濯は昨日の内に終えているので、今日はどうしようかと旦那氏と相談。
ここ最近の楽しみは、気になっていた書店を巡り、帰りにカフェに寄ること(GWもほぼ書店&カフェ巡りをしていた)。
私が行きたい書店はほぼ回ったので、旦那氏の希望で千駄木の「往来堂書店」に行くことに。西荻窪の今野書店のように選書が良さそうとのこと。書店おすすめのカレー屋さんも近いということで、今日はランチ付き。豪勢な休日になる予感。
ところが千駄木に到着しカレー屋さんに行くとcloseの看板。カレーが早々に売り切れ、予定より早くランチタイムを切り上げたようだ。Uターンして行きに見かけた「雨音茶寮」へ。食事もあるというので迷わず席が空くのを待つことにした。時計はすでに14時を回っている。
これは個人的な反省点なのだが、休日はのんびり起きるので朝食も身支度も遅くなってしまう。したがって家を出る時間も遅くなり、外でランチをするにはギリギリになってしまう。私は空腹を我慢できるが旦那氏はほぼ時間通りにお腹が空く人なので、別のお店を探したり、並んで待つ時間が辛そう。今更だけど、休日の過ごし方は早めに決めようと思った。
ランチは雨音ごはんという名のおばんざいと出汁茶漬けのセット。食後のホットコーヒーに付けてもらったミルクが温めてあり感動する。この心遣いは嬉しい。

カフェを出て往来堂書店へ。地域密着型!という雰囲気。でも話題の新刊もしっかり揃っており、近所にこんな本屋さんがあったらなぁと思う(我が家の周りには良い書店が無くて悲しい)。気になっていた「聴こえない母に訊きにいく(五十嵐 大)」を購入し、カバーをかけて貰う(無料!嬉)。モグラのイラストがデザインされていて顔が綻ぶ。オリジナルのブックカバーはやっぱり嬉しい。有料でもいいからブックカバーがあって欲しい。
その後折り畳み傘を開いたり閉じたりしながら周辺をぶらぶら散策し、旦那氏が行きたいと言った喫茶店に向かったのだが、Googleマップの情報では18時閉店だったのに、現地に着くとすでに閉店していた。「入店は17時まで」という貼り紙が数分過ぎて到着した私たちを無言にさせた。今日はよく振られるな…。
気を取り直して移動し別の喫茶店で読書。今日から読み始めた「水中の哲学者たち」。固い本かと思いきや、ふふふと笑える箇所多数。まだ50ページほどしか進んでいないのに、春先の筍がニョキニョキ生えてくるように、すでに付箋がたくさん付いている。
行きたい飲食店には行けなかったけれど、雨音茶寮に行けたし、今日行けなかったお店は次の楽しみに取っておく。
日記 2023.5.3㈬
GW初日である。1日、2日は出勤したので私のGWは今日からが本番。雲ひとつ無い晴れ。絶好のピクニック日和。
ピクニックに行こうと言い出したのは私。旦那氏と「どこか行きたいところはある?」という話になった時、読みたい本も溜まっているし、自然の中でゆっくりしたい→本を持ってピクニックに行こう、ということになった。
この日のために買った大人二人がごろ寝できる2畳ほどのレジャーマットと、ブラックコーヒーを淹れた水筒と、きゅうりトースト(なかしましほさんのレシピ)、クッキーを持って公園に向かう。
実はサンドイッチは買うつもりでいたが、昨晩同僚からの急な誘いで飲みに行ってしまった後ろめたさと、以前作ったきゅうりトーストを旦那氏が食べたそうにしていたので、飲み会の帰り道スーパーで材料を買ったのだった。
旦那氏は私の負担を考えて、して欲しいことがあっても言わないことがある。ピクニックで何を食べるかという話題になったときも、「あのきゅうりトースト美味しかったよね」という言い方をする。なんだかいじらしい(半分かわいそうな)気分になってしまったのだった。
今日行った公園は、昨晩大急ぎでネットで探した場所だったが大正解。自宅から遠すぎず駅からのアクセスもいい。大きな木の木陰にシートを敷くと風が吹き抜けて気持ちいい。
お腹を満たししばらくするとトイレに行きたくなり、少し先に見えるトイレに向かった。トイレを出て近くの自販機でジュースを買い戻ろうとしたところ、なんと帰り道が分からなくなってしまった。シートを敷いた場所からトイレまで直線距離で200メートルも無かったのに…。なんてこと、アラフォーにもなって迷子になってしまった。
旦那氏に電話するも出ない(Wi-FiがONになっていたのが良くなかった)。まっすぐ歩いてきたつもりだったので目印になるようなものをチェックしていなかった。散々歩き回りどこをどう歩いたのか、トイレとは真逆の方角から私が戻ってきたので旦那氏を驚かせてしまった。
シートからトイレまでの間に大きな木が2本あり、トイレから出た時私達の場所が死角になったこと、ジュースを買いに少し移動したことで方向感覚を失ってしまったらしい。
旦那氏に「なかなか戻ってこないから電話するところだったよ」と言われたところで公園の管理局の放送が流れた。本当の迷子を探すアナウンスだったが、「この手があったか」と旦那氏が言うので笑った。
やっと落ち着いてごろりと寝転んで本を開く。子どもたちの笑い声や野鳥のさえずり、どこからともなく聴こえてくるオカリナの音色がちょうどよいBGMになって読書がはかどる。次第にうとうとして小一時間ほど昼寝。
普段は窓の開かないビルで一歩も外に出ず仕事をしているので、こうしてお日様に当たり風を感じることが久しぶり。また来ようね、と言いながら15時頃帰路につく。途中コーヒーとチーズケーキが美味しいカフェに入れたのも収穫。
GWよい滑り出しだ。
ピクニックのおとも
私と書店「本屋Title」
本を読んでいると、その作家の過去の作品を読みたくなるし、作中に紹介されている本があればそれも読みたくなる。
読めば読むほど欲しい既刊本のリストが溜まっていく。書店に足を運ぶたびに探すのだが、新作と違い既刊本となると意外にも見つからなかった。
同時進行で古本で探してみるもあっけなく惨敗。話題になった私小説の文庫版も無いなんて…と既刊本との出会いの難しさを感じる。
大型の古本屋に行けばあったかもしれないが、本が大切にされていないあの店内は一切購買意欲をくすぐらず、ここ数年は一切利用しなくなってしまった。
ここまで探しても無いのだから紀伊国屋書店に行くか、注文しようとしていた矢先のこと、ある書店で探していた文庫本を見つけることが出来た。しかも5冊も。
ある書店、と勿体ぶったけれどタイトルの通り、荻窪の「本屋Title」である。
散々探して見つからなかったのに、Titleで全て揃ってしまった衝撃。思いがけない出来事に心臓は高鳴り、全身の毛穴が開くような気持ちがした(私の場合は特に頭に感じる)。
しかも、前日に別の書店で購入した「ことばの杖(李良枝)」まで置いてあり、私が来店すること分かっていました?と尋ねたくなってしまった。今回の来店が2度目なのでそんなはずはもちろん無い。
初めてTitleを訪れた数日後、旦那氏が「独立して書店を始めた人の多くが、荻窪の本屋Titleを憧れの本屋と言っているらしいよ」と教えてくれた。
その時は「へぇ、確かに居心地の良い本屋さんだけど、同業者の方がそう言うなら相当なんだね」と感想を述べて終わったが、今回の経験をした今では「そりゃそうだ、お手本のような本屋さんだもの」と思う。
相性がよかった?そうかもしれない。でもそれだけじゃない。
その答えの一部が店主辻山良雄さんのWEB連載やインタビューに散りばめられている。
Titleの店頭には、通常の書店に見られるようなPOPを付けておりません。大きなPOPは後ろの本が取りにくくなりますし、何よりその本の顔である表紙がきれいに見えなくなります。本の顔をきれいに見せることで、一冊の本が本来持っている、その小さなつぶやきが聞こえやすくなります。
(略)何の本を手に取るかは、すべてお客さまが自分の興味やその時の気持ちに合わせて決めることだと思います。本屋に出来ることは、出来るだけお客さまが本と出合う邪魔をせずに、その環境を整えることです。
(略)本屋は人の書いたもの、すなわちその人のたましいを扱う場所です。たましいが取り扱われるには、それにふさわしいような整えられた場所が必要だと思います。
:本屋の時間 第8回 本のつぶやく声
辻山…(略)じつは本にそんなに答えがあるわけじゃないなと思うんです。ただ、読むことで自分が耕されることは誰しもにあると思います。
:北欧、暮らしの道具店 大平一枝の『日々は言葉にできないことばかり』
新刊はもちろん、暮らしの本、児童書、雑誌もあって一見街の本屋さんと思いきや、心構えのようなものがちゃんと空間に反映されている。書店に使う言葉ではないかもしれないが、頼もしいと思う。それにTitleに行けば今必要な本と必ず出会える。これは断言していいと思う。
恥を偲んで白状すれば、本屋をやってみたいと妄想したことがあった。でも今回のような本との出会いを提供することは絶対にできない。妄想はあっけなく霧となった。
「遠い朝の本たち」を読んで
先日、須賀敦子さんの「遠い朝の本たち」という本を読み終えた。
翻訳家で随筆家の著者が、幼少期から読んできた本とともに、その周辺にまつわる人々や出来事をまとめた一冊である。
著者のことを調べた後、また、友人のしげちゃんとの思い出について知った後では見当違いだが、読書に関する思い出を読んでいる間は羨ましいという気持ちだった。
厳格な父親は芦屋で事業を営み、その一方で読書家で、蔵書に藤村全集、漱石全集、英詩の詩集(これは読んだ形跡があまりなかったようだけれど)を持ち、本ばかり読んでいる著者を母親は「おまえはすぐ本に読まれる」と叱りながら、若かった頃同じ言葉で母親(著者の祖母)に怒られたのだと打ち明ける。折々に本を贈られることも多く(本が貴重だった時代ということも関係していると思うが)、探検記を読めば自分も探検にのめり込み、友人たちと本の中の登場人物について夜を徹して語り合う。
幼いときの読書が私には、ものを食べているのと似ているように思えることがある。(略)いや、そういうことにならない読書は、やっぱり根本的に不毛だといってもいいのかもしれない。
:須賀敦子「須遠い朝の本たち」
もし子供の頃からもっと良い本に出会っていたらと思うと、どうしても羨ましいと思ってしまうのだ。読書は好きな方だったけれど、積極的に本を探して読むということは少なかったように思う。夏休みの読書感想文の課題図書、学校の図書室に入荷してたちまち人気となったシリーズものを読むくらい。田舎だったので本屋に行くのも車かバスだし、図書館に行くのも同じ理由で足が遠のくのだった。少々言い訳じみているけれど。
なので著者のように読み込んだ本があったかと考えた時、一番に思い浮かんだのが手塚治虫の漫画「火の鳥」と「ブッダ」だった。まさか、須賀敦子さんについて書いているのに、漫画を出すことになるとは思わなかったが、「父ゆずり」「父の鴎外」という章で、自分の父を思い浮かべずにいられなかった。
私の父は普通の会社員で、本棚は仕事関係の資料や資格のテキスト、実用書や小説などで半分が埋まり、後の半分は漫画で、手塚治虫作品、浦沢直樹の「20世紀少年」、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」などであった。その中でも「火の鳥」「ブッダ」は言わずと知れた大作で、子供ながらに受けた衝撃は大きく、しばらく地球と宇宙、現代過去未来を彷徨い心ここにあらずな日々を過ごしていた。友達がアイドルや少女漫画の話でもちきりだった頃なので、少し距離を感じた時期でもあった。
ただ、友達と漫画の話で盛り上がれなくても、父の本棚には趣味の良さを感じるし、それが大事な読書の記憶になっていることは素直に嬉しい。そんな父なので、著者の父親のように本を贈られたこともなければ、○○を読め、○○ぐらいは読んでおけとも言わない。でも漫画の話でいいから、父が初めて親しんだ手塚治虫は何だったのか、他に好きな作家がいたのか、もっとたくさん会話をすれば良かったと思う。
父は2018年に66 歳で他界してしまったので、それはもう叶わない。
しかし、本を読めば読むほど自分の無知無学と直面し肩を落としてしまう。と同時に著書の本のような書物をたくさん読もうと思う。今の私には本こそ先生なのだから。
UNITÉトークイベント:日記からはじまる
ユニテのオンラインショップで本を買おうとしていたら、ふと僕のマリさんと小沼理さんのイベントが目に止まった。予定が空いている事を確認してすぐカートに入れる。
僕のマリさんってどんな方でどんなお話をするんだろう、そんなミーハーな気持ちで申し込んでしまい、あとからテーマが「日記からはじまる」だったと知る。
今こうしてぽちぽちとブログを書いているのも、僕のマリさんの文章に惹かれたからで、これはこれで自分に必要なタイミングだったのだと思う。
早速、参加者に向け日記を書いている人がいるか質問される。半数以上の手が挙がり驚いた。ミーハーな気持ちで参加したことを申し訳なく思った瞬間だった。もちろん私は手を挙げない。
そもそも文章を書くことが苦手である。あることがきっかけで、日記、手紙、メール、LINE、同僚に渡す付箋のメモさえも…書くこと全てが苦痛になってしまった。(この記事を書くのにも莫大な時間が掛かっている。)それなのに定期的に書き残したいという欲求が湧くから不思議だ。今日をきっかけに、少しでも書くことに前向きになれたらいい。
興味深かったのは、僕のマリさんと小沼さんの日記の書き方が全く違うということ。日記に決まりがあるわけじゃなし、他人がどんなふうに書いているかなんて考えたこともなかったから新鮮な驚きだった。
日記を始めたきっかけを聞かれて、僕のマリさんは「読み返した時おもしろいから。この日誰々と遊んだとか自分の過去を思い出すのが好き」とおっしゃっていた。僕のマリさんのように読み返したくなるような日記を書けたら良いのにと思う一方で、私は小沼さんの書き方に興味を引かれていた。
小沼さんは「手を止めずに書く」についてお話しされた際、「思いついたことを全てテキストファイルに残しておきたい。思考をすべて書くには、スマホよりもパソコンで書くほうが早い。”てにをは”や、言葉の拙さも気にしない。そうすることで思考が整理される」と言った。日記ではないけれど、書くことで堂々巡りの思考が整理される感覚は私にも経験があった。
数年前の辛かった時期のことがフラッシュバックする。あまりにも辛すぎて、意を決してカウンセリングを受けることにした。初め何を話せばいいか分からず、高いお金を払っているのにあっさりと診察が終わる、ということを繰り返していた。なんだか時間もお金も無駄にしている気がして、カウンセリングの記録をつけ次に話す材料を用意していくことにしたのだが、気がつくとノートに感情をぶつけるという体裁になってしまった。
その日もいつものようにカウンセリング後スタバに寄り、ノートを開いた。「カウンセラーとこんな事を話した。どうしてこういう風に考えてしまうんだろう」そんな事をつらつらと書き留める。すると、すっかり忘れていた子供の頃の記憶が蘇った。その時感じた悲しみが今の私の思考のクセに繋がっていることに気が付き、まさに雷に打たれたような衝撃で、涙がとめどなく溢れてくる。左手のハンカチで目頭を押さえながら右手のペンは止まらない。今思えば怖い情景だが、あれは書かなかったら得られない経験だった。
小沼さんも「ばーっと書いたものを1本の流れにする。ユリイカ(私のブログのタイトル!)のような感覚は、2段階目、文章を整理するときに起きている」とおっしゃっていたので、私が日記を始めるときは、小沼さん様式になりそうだ。
こうしてみるとおふたりの日記の書き方の違いは、何を書き留めておきたいかの差なんだと思う。僕のマリさんは「日記なんだからまず朝何時に起きた、誰と何をしたか書かないとと思ってしまう。」とおっしゃっていたので日々の出来事の記録。
小沼さんは感情の動きの記録という色合いが濃いのかもしれない。日記に1時間弱かかる日もあるというので再び共感してしまう。
次第に私は小沼さんにどうしても聞きたくなった。「書き続けて辛くなることはないですか?書く事が嫌になりませんか?そういう時はどう乗り越えていますか?」
あとで時間があったら聞こう思っていたが、最後に小沼さんが発した言葉がその答えとなった。
「つらい時期が続くと書き残したくなるけど、それを書いて自分をえぐっちゃうことってあると思う。書くことがしんどくなってこれ以上書くことができないとなってしまったら元も子もない。書きたくなる気持ちはわかるけど、書かないという選択肢も大事かなと思う。」
辛い出来事こそ私は書き留めたくなる方だ。そして読み返しては闇に落ちてしまう。だから日記をやめる、というのがパターンだった。
書きたいけどあえて書かないという選択。日記に対する自由度が拡がる感覚がした。私にも始められるだろうか。
2023/4/1 UNITÉ@三鷹
「『書きたい生活』刊行記念 日記からはじまる」(ゲスト:僕のマリ、小沼理)
トークイベントは次の3つの構成から成り、日記をつける上で大切にしている事、気をつけている事をおふたりが3つずつ挙げられた。
①書く
僕のマリ:簡潔に的確に書く・文章の灰汁を抜く・リズムの良さを重視する
小沼理:朝から夜に向かって書く・まずは手を止めずに描く・主観で正確に書く
②編む
僕のマリ:台詞の忠実さ(実際の喋り方に)・社会への問いを編み込む・
一冊としてのバランスを見る(濃すぎないように)
小沼理:矛盾していていい・答えよりも過程にこだわる・
誰かの権利を侵害していないか
③売る
僕のマリ:好きなお店に置いてもらう・長く売ることを考える・
どんどん書き続ける!
小沼理:お釣りを出さない価格に!・読者との接点をつくる・自分を見せ物にしない
購入品記録
- 1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい|小沼理
- パートタイム・コメット|佐々木里菜
日記 2023.4.1㈯
私と書店「UNITÉ」
東京は桜が満開だ。自宅からバスに乗ると、トンネルのような桜並木を通る。今日はあいにくの雨で、グレー色の空と淡いピンクの桜が滲んでいる。
家を出る時義母から「こんなお天気なのに出掛けるの?」と言われた。昨日は25度あった気温が今日は10度までしか上がらないという。「美容院の予約を入れてしまって」と傘を持って家を出た。
最近通いの美容院を変え吉祥寺に通っている。広くて明るい美容院が苦手なので、こじんまりとしたところに行くのだが、そうするとなかなか予約が取れない。髪が伸び限界を感じて、隣駅の三鷹に見つけた美容院に行くことにした。
三鷹には最近何度か足を運んでいる「UNITÉ」という書店があり、早めに行って立ち寄ることにした。
中央線に揺られ、三鷹駅に到着する。南口を出、中央通りを10分強まっすぐ歩くとUNITÉに到着した。
ビルの1階、一瞬ここが本屋?と訝しむ。白い壁、白いドア、アンティークの照明という入り口から、扉の向こうには洒落たフレンチレストランでもありそうな雰囲気。足元の「本」と書かれた小さな立て看板を見て、安心して店に入ることが出来る。
初めてお店に行った時、まず店舗の広さに驚いた。間口の広さから想像できないほど奥行きがあるのだ。入ってすぐ右手には喫茶スペースのカウンター、隣にレジがあって、その向こうに本がどっさり置いてある。ちなみにレジの奥にも本棚に挟まれこじんまりとしたカフェスペースがあり、上質な椅子と落ち着いた明るさの中、集中して読書ができるようになっている。(注意:本は購入後に持ち込み可)
さて、店内を見渡すと、中央の平台、壁際の本棚、アンティークの本棚、丸テーブルの上…ぐるりとどこを見ても本、本、本…。平台には新刊・近刊を中心に、本棚には人文、小説、詩集、哲学書、社会学、韓国文学…私には難しい本もたくさん並べられている。
本の陳列に愛情を感じる、と書くと大袈裟だろうか。平置きの本と本の間に隙間があり空間に余裕がある。本棚は様々なサイズの本の面が揃っていて美しい。一度手に取った本を戻す時、自然とその手付きが丁寧になる。本が一つの作品として扱われているように感じる。
気になる本はたくさんあるが、最近UNITÉではオンラインショップも含めて5冊ほど購入しており、まずそちらから読まねば、と今日はお茶だけすることにした。きちんとドリップされたブレンドコーヒーは少しの酸味と軽さがあって美味しい。今日は時間に限りがあってできないけれど、次回は本を読みながらコーヒーを頂きたい。
そして、密かに驚いているのは作家さんのトークイベントの多さ。私は素人だけど、このイベントの数は多い方ではないだろうか。先日とあるイベントに申し込んでみた。一週間後にはまたUNITÉに訪れることになる。今からどんな思い出深い時間になるかとても楽しみである。
三鷹に引っ越すのもアリかも…そんな邪念が過ったのは内緒だ。
購入品記録(オンラインショップ含む)
- 書きたい生活|僕のマリ
- 遠い朝の本たち|須賀敦子
- 私のものではない国で|温又柔
- 祝宴|温又柔
- 世界と私のAtоZ|竹田ダニエル