Eureka

他愛もない毎日のこと、本や書店めぐりの記録

「遠い朝の本たち」を読んで

先日、須賀敦子さんの「遠い朝の本たち」という本を読み終えた。

翻訳家で随筆家の著者が、幼少期から読んできた本とともに、その周辺にまつわる人々や出来事をまとめた一冊である。

著者のことを調べた後、また、友人のしげちゃんとの思い出について知った後では見当違いだが、読書に関する思い出を読んでいる間は羨ましいという気持ちだった。

厳格な父親は芦屋で事業を営み、その一方で読書家で、蔵書に藤村全集、漱石全集、英詩の詩集(これは読んだ形跡があまりなかったようだけれど)を持ち、本ばかり読んでいる著者を母親は「おまえはすぐ本に読まれる」と叱りながら、若かった頃同じ言葉で母親(著者の祖母)に怒られたのだと打ち明ける。折々に本を贈られることも多く(本が貴重だった時代ということも関係していると思うが)、探検記を読めば自分も探検にのめり込み、友人たちと本の中の登場人物について夜を徹して語り合う。

 

幼いときの読書が私には、ものを食べているのと似ているように思えることがある。(略)いや、そういうことにならない読書は、やっぱり根本的に不毛だといってもいいのかもしれない。

須賀敦子「須遠い朝の本たち」

 

もし子供の頃からもっと良い本に出会っていたらと思うと、どうしても羨ましいと思ってしまうのだ。読書は好きな方だったけれど、積極的に本を探して読むということは少なかったように思う。夏休みの読書感想文の課題図書、学校の図書室に入荷してたちまち人気となったシリーズものを読むくらい。田舎だったので本屋に行くのも車かバスだし、図書館に行くのも同じ理由で足が遠のくのだった。少々言い訳じみているけれど。

 

なので著者のように読み込んだ本があったかと考えた時、一番に思い浮かんだのが手塚治虫の漫画「火の鳥」と「ブッダ」だった。まさか、須賀敦子さんについて書いているのに、漫画を出すことになるとは思わなかったが、「父ゆずり」「父の鴎外」という章で、自分の父を思い浮かべずにいられなかった。

 

私の父は普通の会社員で、本棚は仕事関係の資料や資格のテキスト、実用書や小説などで半分が埋まり、後の半分は漫画で、手塚治虫作品、浦沢直樹の「20世紀少年」、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」などであった。その中でも「火の鳥」「ブッダ」は言わずと知れた大作で、子供ながらに受けた衝撃は大きく、しばらく地球と宇宙、現代過去未来を彷徨い心ここにあらずな日々を過ごしていた。友達がアイドルや少女漫画の話でもちきりだった頃なので、少し距離を感じた時期でもあった。


ただ、友達と漫画の話で盛り上がれなくても、父の本棚には趣味の良さを感じるし、それが大事な読書の記憶になっていることは素直に嬉しい。そんな父なので、著者の父親のように本を贈られたこともなければ、○○を読め、○○ぐらいは読んでおけとも言わない。でも漫画の話でいいから、父が初めて親しんだ手塚治虫は何だったのか、他に好きな作家がいたのか、もっとたくさん会話をすれば良かったと思う。

父は2018年に66 歳で他界してしまったので、それはもう叶わない。

 

しかし、本を読めば読むほど自分の無知無学と直面し肩を落としてしまう。と同時に著書の本のような書物をたくさん読もうと思う。今の私には本こそ先生なのだから。