私と書店「本屋Title」
本を読んでいると、その作家の過去の作品を読みたくなるし、作中に紹介されている本があればそれも読みたくなる。
読めば読むほど欲しい既刊本のリストが溜まっていく。書店に足を運ぶたびに探すのだが、新作と違い既刊本となると意外にも見つからなかった。
同時進行で古本で探してみるもあっけなく惨敗。話題になった私小説の文庫版も無いなんて…と既刊本との出会いの難しさを感じる。
大型の古本屋に行けばあったかもしれないが、本が大切にされていないあの店内は一切購買意欲をくすぐらず、ここ数年は一切利用しなくなってしまった。
ここまで探しても無いのだから紀伊国屋書店に行くか、注文しようとしていた矢先のこと、ある書店で探していた文庫本を見つけることが出来た。しかも5冊も。
ある書店、と勿体ぶったけれどタイトルの通り、荻窪の「本屋Title」である。
散々探して見つからなかったのに、Titleで全て揃ってしまった衝撃。思いがけない出来事に心臓は高鳴り、全身の毛穴が開くような気持ちがした(私の場合は特に頭に感じる)。
しかも、前日に別の書店で購入した「ことばの杖(李良枝)」まで置いてあり、私が来店すること分かっていました?と尋ねたくなってしまった。今回の来店が2度目なのでそんなはずはもちろん無い。
初めてTitleを訪れた数日後、旦那氏が「独立して書店を始めた人の多くが、荻窪の本屋Titleを憧れの本屋と言っているらしいよ」と教えてくれた。
その時は「へぇ、確かに居心地の良い本屋さんだけど、同業者の方がそう言うなら相当なんだね」と感想を述べて終わったが、今回の経験をした今では「そりゃそうだ、お手本のような本屋さんだもの」と思う。
相性がよかった?そうかもしれない。でもそれだけじゃない。
その答えの一部が店主辻山良雄さんのWEB連載やインタビューに散りばめられている。
Titleの店頭には、通常の書店に見られるようなPOPを付けておりません。大きなPOPは後ろの本が取りにくくなりますし、何よりその本の顔である表紙がきれいに見えなくなります。本の顔をきれいに見せることで、一冊の本が本来持っている、その小さなつぶやきが聞こえやすくなります。
(略)何の本を手に取るかは、すべてお客さまが自分の興味やその時の気持ちに合わせて決めることだと思います。本屋に出来ることは、出来るだけお客さまが本と出合う邪魔をせずに、その環境を整えることです。
(略)本屋は人の書いたもの、すなわちその人のたましいを扱う場所です。たましいが取り扱われるには、それにふさわしいような整えられた場所が必要だと思います。
:本屋の時間 第8回 本のつぶやく声
辻山…(略)じつは本にそんなに答えがあるわけじゃないなと思うんです。ただ、読むことで自分が耕されることは誰しもにあると思います。
:北欧、暮らしの道具店 大平一枝の『日々は言葉にできないことばかり』
新刊はもちろん、暮らしの本、児童書、雑誌もあって一見街の本屋さんと思いきや、心構えのようなものがちゃんと空間に反映されている。書店に使う言葉ではないかもしれないが、頼もしいと思う。それにTitleに行けば今必要な本と必ず出会える。これは断言していいと思う。
恥を偲んで白状すれば、本屋をやってみたいと妄想したことがあった。でも今回のような本との出会いを提供することは絶対にできない。妄想はあっけなく霧となった。